はじめに 書籍・まえがき から
私には、身体障害児の弟がいます。両親は、私が三才の時、「一人ではかわいそうだ」ということでもう一人つくったそうです。弟が生まれた時、弟は未熟児でした。そこで、昭和四十五年当時、新しい機器として導入された保育器に入りました。しかし、その保育器の故障か操作ミスで酸素が入っていませんでした。密室状態の保育器、酸素が次第になくなり、弟の身体は真っ青になりました。その後、気づいた医者が慌てて処置をしたそうです。
その事件から、私たち家族の運命は、普通と違う方向に進みだしました。
その後、弟は、数年間首が座らず、寝たきりでしたが、除々に身体もよくなってきました。医者からは、長く生きられないと告げられていたそうです。しかし、母の介護の成果か弟は除々によくなり、首が座るようになり歩けるようになりました。その頃、弟の聴覚障害が少しずつ分かってきました。弟の耳は、ほとんど音を感じることがありませんでした。そして、聴覚障害の影響により、口話能力もほとんどありませんでした。結局、弟は2級の身体障害児として、一生を送ることになりました。
弟が小学校に入学する年齢に達しても当時、私の町には、ろうわ者のための教育機関がなく、電車で一時間半離れた都市までいかなくてはならない状況でした。始めの年は、弟一人寮に入れさせておきましたが、それでは、「かわいそうだ」ということで、母がアパートを借り、弟と生活することになりました。当然、私は父と二人暮らしになりました。
当時父は、製造会社に勤めていて、高度成長期のため残業が多く帰りも遅かったことを覚えています。また、夜勤もよくあり、私は親戚の家へよく預けられました。その車の中で、涙を流していたと後で親戚の人から聞きました。当時、私は小学校四年生で、いじめられっ子でもありました。毎日が、どこにいっても孤独で、誰にも頼れず、相談をすることも知らず、いつも誰もいない冷たい家に帰り、父が帰ってくるまで、泣いていました。近所の暖かい家庭がうらやましくてなりませんでした。しかし、私はこういう運命だから、我慢するしかないと思いましたが、よく泣いて父の帰りを待っていました。
ある日、泣きつかれて、ふと、「生きているより死んだ方が楽だ」と思い、母の帯締めをタンスから出し、天井の古クギに結び付け、輪を作り、椅子を持ってきて、その椅子の上に立ち、輪を首までもってきました。
今、こうして文書を書けるのも、あの時、椅子を蹴らなかったお陰です。
小学校四年生で、精神的に死のふちまで、追いやられたことに、今では感謝しています。あの経験が、その後の人生に本当に生きてきました。本当に苦しんだ以上の感謝しなければならない、精神的な成長がありました。こうして、この言葉集が作れることも、そのお陰もあります。
この言葉集は、現在約300作歩度あり、その中の54作品を発表しました。もし、この書籍好評であれば、準備ができしだい、次の作品を出版したいと思います。言葉集は、日を追うごとに増えております。
この言葉集を通し、「あなたの心のささえになれば」こんな嬉しいことはありません。
あの時、椅子を踏み外さなくてよかったと、心から思います。
平成18年11月
著 者 今 井 隆 弘